卒論で病んで、失踪した人の話

考え
この記事は約10分で読めます。

今回は卒論で、病んで失踪した話をします笑

一つの考え方として、少しでも参考になれば幸いです。

情報

九州工業大学 情報工学部

卒論内容

周辺の地方自治体と連携をして、地方自治体が抱える問題をIT分野で解決していく。

というFITWの取り組みをしていました。

私が取り組んでいたのは、農業従事者等の、見守りシステム(仮)です。

自治体からの要望が、

農作業中の高齢者の事故が多く、かつ農作業を行う場所は連絡が取れない山奥で対応が遅れて死亡事故が発生している。

というもので、それを解決する為に、システム案の提案から始めました。

引継ぎなしの初年度の取り組みだったので、結構きつかったです。

地方自治体からの連絡も全然ないし、少し調べたら、もうすでに似たような研究内容があったりで、やる意味が感じれませんでした。

バイトに行ったり、遊んだりしてました。

クソですね。

そんなこんなで、ゆるゆると進めていました。

卒論製作ラストスパート

卒論発表2カ月前になってやっと本腰入れて研究するかと思い、研究室に通い始めたのですが、教授から出される指示はやる意味があるのかわからない意味不明な内容でした。私は似たような論文を複数読んでいたので、完成品を把握していてすぐに結論を持っていってしまいました。なので、この結論にはたどり着くまでの過程がない。この結論は根拠がない嘘っぱちだと指摘されて、根拠を出すために指示されたことを行うことになりました。とりあえず言われたままにやって伝えるのですが、こうじゃない、ここが抜けている、過程がない等といわれて重箱の端をつつくようなくらい細かい部分まで指示されるようになりました。

例えるなら、最終的に作りたいものが地球全体とすると、今年度の初め私が担当する部分は北半球くらいの部分でした。しかし、調査の結果、問題があって、日本の部分くらいしか作れないってなったので、そこまでやることになりましたが、それも半分になり、その半分さらに細かくなり、最終的には一つのことについて研究をすることになりました。

実際問題、Appleですら「誤作動起こすこともあるのでこういう仕様があります」ってしているものをたかだか1年研究しただけの大学生が突き詰めれるわけないし、私が出来てたらとっくに商品化されているだろうし、論文もあるでしょって思うようなことをしていました。

こういうことを思いながら研究していたので、態度として出ていたんだと思います。

そんなこんなで卒論提出三日前まで、論文を書き始める許可が出ませんでした。やっと許可が出て、書き始めたのですが、自分が考えていた結論と全く違うので、なんの意味があってこんなことしているんだ?って考えて、文章を書くのに一苦労しました。また、一週間前からどうにか終わらせようと連日徹夜をしていたので、頭も回っていませんでした。なので、ようやく出来た論文も文章の構成が崩壊していて、留学生が書いた文章みたいと言われ、自分で読んでも意味が分からない文章になっていました。(笑)

週4回くらい徹夜して、家に帰らずにずっと研究室にこもって朝から朝までずっと論文製作をしていたので、完全に脳が疲弊していて、駄目だったんだと思います。

二日前に全部書き直しって言われて、絶望しながら仕方ない書くかって思ってたら、教授から「もう、卒業諦めたら?」って言われました。私は、留年もしているし、親に迷惑をいっぱいかけてきたので、そんなわけにはいかないと、今までのことを謝罪して、今から徹夜で仕上げるので、お願いします。と懇願しました。しかし、教授は、どうせ無理でしょ、間に合わない。今から帰って寝る時間もないし、朝早く来なくちゃいけないじゃんと言いました。この時に自分は少し違和感を感じました。

2/17日曜の夜9時に自分の口から辞めますと言い、今後のことを話し合うことになりました。

話し合いは2時間くらいかかって、その後研究室のメンバーでご飯を食べに行って、帰ったのは夜0時を過ぎていました。

連日徹夜をしていたので、帰ってすぐにベッドに倒れこみました。

なんか現実感がなくて、夢みたいで、朝目が覚めたら何もかも終わってないかなと期待して寝ました。

失踪

目が覚めたら、なぜか居候2人が部屋で寝ていました。私の家には居候がいて、多い時は週5で泊まりに来たりしてました。家の食べ物は勝手に食べられるし(無銭飲食)、窓から侵入するし(不法侵入)、家の中で色々燃やすし(放火)、壁に穴開けられるし(器物破損)私の周りにはろくでもない人がいっぱいいました(笑)。彼らは反面教師としてやってはいけないことを色々教えてくれて助かりました。類は友を呼ぶというし、自分自身気づいていないやばいことがあるかもしれないです(笑)。

なんで、こいつらいるん?って思いながら、一人になりたかったので、家を出ることにしました。ポストを確認したら不在届が入っていたので、配送センターに荷物を取りに向かったのですが、元の送り主のところに戻されていました。この時に自分のふがいなさ、確認不足、やるべきことの順番付の下手さ、何やってもうまくいかないな。って思いました。

「あーあ、留年したけど、どうにか5年間頑張ってきたのになぁ(笑)ダメだったかぁ…

親に何て説明しようかな。。」

って考えた時に涙が止まらなくなりました。

大学に受かった時のことから、入学式とか、親と一緒に新居探したときとか、テスト前やレポート提出前に徹夜で勉強したこととか、必修の単位をどうにか取らせてくださいってお願いしたこととか、5年間の辛かったけど頑張って乗り越えてきたことが走馬灯のように頭にめぐって、全てが無駄になったことがとても悔しくて、車の運転しながらめちゃくちゃ号泣してました。

運転に支障が出るくらいだったので、路端に停車して、親に言う言葉を考えました。

入学金とか、生活費とか、授業料とか約600万円かけて、留年もして、5年間かかったけど、

なんとか就職できて、名古屋で働くことになったよーって新生活の話とか色々進めていたのに、

直前になって、辞めることになった息子はどんな親不孝者かなって思いました。

5年と600万かけて出来上がったのは、奨学金120万円の借金を抱えた若干鬱気味の無資格者。

えぐい。

何も思いつかなくて、家には居候がいるので、いくあてもなく車を走らせました。

気持ちの整理がつくまで三日くらいかかりました。大学生活で3回死にたいって思うことありましたが、今回ばかりは2時間くらい悩みました。

この時ほど一人にしてくれって思ったことは無いです(笑)

探さないで下さいっていうドラマでよく見る置手紙を置いていけばよかったなぁって思いました(笑)

適当に走ってたら、宮崎方面に向かっていたので、そのまま宮崎に行ってチキン南蛮でも食べてこようかなって思いました。

途中、宮崎に灯台があったのを思い出したので、ついでに灯台に寄ることにしました。

元々は、卒業後の春休みまるまる使って、16基全部回ろうと計画していたのですが、こうなってしまったので、春休みもあるかわからないし、就職活動やりなおさないといけなくなったので、

この際今から全部回るかって思いました。

卒論発表無くなって、発表会までの1周間まるまる休みだ~旅行に行こう!

って考えになって、その後島根県や和歌山の灯台に行きました。

途中ずっと連絡が鳴りやまなくて、胃がめちゃくちゃ痛かったです。

何か目的もって行動していないと死んでしまいそうな気がして、けど親に話すのは辛くて、全ての連絡をずっと無視していました。

丸二日無視してたら、姉からメールがきて親が福岡に行こうとしていることと、警察に創作届を出そうとしていることを知らせました。この時自暴自棄になりつつあったので、勝手にすればいいと思っていたのですが、運転中にいろんな可能性を思い浮かべていたら、親が自分の住む家に来た時に居候と鉢合わせしたら、親が居候を刺したりしないかな?って考えてしまい、怖くなってきました。

親には居候がいることを言っていたのですが、毎回追い出してよ、とかちゃんと言わないと!って説教されていたので、もし息子が失踪して行方不明になって不安定な精神状態の時に居候が家でゴロゴロしながらゲーム(多分やつらはどんな状況でもゲームする)してたら怒りのあまり刺しかねないって思ったので、連絡しました。

父親に電話して、「飛行機代もったいないから来ないでいいよ」って言ったらもうチケット予約した。って言われて、キャンセルも考えたのですが、仕事の休みも取ってしまったらしいので、

そのまま福岡に来てもらい、引越しの手伝いをしてもらうことで、話が終わりました。

電話を切って、こんな時でもお金の心配か…って自分に笑いながら、胃の痛みがめちゃくちゃ和らいだのを感じました。やっぱり、辛い時は一人で抱え込まないで、ちゃんと信頼のおける人に話をするのが一番だなって思いました。

時期が時期なだけに、丸二日連絡を取らなかっただけで、30人以上の人に失踪したことが知れ渡ってしまってて、多くの人にいらない心配をかけてしまいました。

家から離れていた(旅行していた)のは、月曜日の昼から金曜日の明け方までで、

月:福岡→宮崎 火:宮崎→島根 水:島根→和歌山 木:和歌山→福岡 金:福岡

って感じで毎日下道を14時間以上運転していました。

運転中は今後の人生のこととか色々考えていました。

帰宅

金曜日の昼に親が来ると言っていたので、空港まで迎えに行きました。親の顔見たら涙が自然と出ててしまいそうになって、「わざわざ来なくてよかったのに(笑)」って無理に笑いました。

家に帰るまでの運転中に、親に大学を辞めることを告げました。

大学で5年間学んだけど、この分野はどうにも好きになれなかった。留年も経験して自分には向いていないことを痛感した。研究にも身が入らなずにバイトに行ったり、遊んだりしていた。ADHA気味かもしれない、ネット診断で高確率でADHAとの診断が出た。このまま、卒業を諦めずに一年頑張っても時間の無駄だし、精神的にもきつい、早く社会人になって奨学金のへんさいをしたい。内定先には内定辞退の連絡をして、別の業界に行くことにする、最近になって長時間集中することが得意で、運転でも生かせることに気付いたからそれを利用してトラックの運転手になろうかと思う。給料も、元々行く予定だった企業は20万だったけど、長距離ドライバーなら、初年度でも40万~50万貰えるらしい、好きでもないきついことを仕事にして、脳を疲弊させながらストレスを貯めて安い給料をもらうよりも、いろんな景色を見ながら、今後の人生のプランや、生き方を考えながらのんびり運転して倍近い給料もらってる方がいいって伝えました。

↓この記事にも書いています。

実は失踪期間中に研究室のメンバーが協力して卒論の添削をやっていて、留年仲間の友達が発表資料のパワポを作成していて、後は発表をするだけっていう状態でした。

けれど、卒業できなくなったのは自分の日頃の行いが悪かったせいで自業自得で、今回助けてもらってどうにかなってしまえば、何とかなるっていう考えの元、改善もせずにまた同じ過ちを犯してしまいそうだなと思いました。人生にはどうにもならないことが起きる時があって、それは自分の常日頃の行動からまねかれるので、日頃の行いを改めるための教訓とし、学生生活最後のこの辛い記憶、痛みは戒めとして、今後の人生に役立てていこうと考えました。

これまでの自分の人生を振り返ると、中学生の時は特に勉強もせずに、近くの高校に決めました。高校生の時は、ラグビーを最後までやるために、あと自分の夢の実現の為に頑張れました。大学生の時は、4年生になるまで、本気でやりたいことを決めていなかったので、真面目に勉強もせずに遊んでばかりいました。

この結果から自分の性格を考えると、追い込まれないとやらない、目標がないとやらないってのが浮かんできて。普通の企業に行ったら追い込まれないし、自分がやる気を出す目標がないかなって思いました。

トラックの運転手なら、上記で書いたように自動運転の参入があって、自分で今後の社会で生きていくための特別なスキル、しかも大卒じゃなくて高卒なのでより特殊で秀でたスキルを身につけなくてはいけないので、(追い込まれる+スキルを付けるという目標)という条件にピッタリだと思いました。

こんな感じで、親にも友達にも説明をして、今後の人生全体で考えた時に、自分のしたいやりたいことをちゃんとやれそうな方を選択しました。

コメント

  1. 迷える4年生 より:

    「卒論 中退」で検索してたらこのブログにたどり着きました。
     私は卒論で現在苦しんでいる真っ最中です。
     12月の半ばでいきなり卒論のテーマを言い渡され、(自分で決められると思っていたので)戸惑いつつも取り組んでいますが、進まない辛さで中退、休学を考えるようになりました。
     ただ、このブログを読んで、同じように苦しんだ人生の先輩がいるのだと思うとなんだか頑張れる気がしてきました。
     期日まであと少しですが、やるだけやってみようかと思います。

    元気をくださりありがとうございました。